そんなに…

そんなに私はA型に見えるかなぁ
昨日の就活でGDいっしょにやった人からも
「もしかして、A型?」と聞かれたけど
ちち違います
確かに几帳面ではある、自分でも認める
でも、違うのです
ただこだわるところはこだわって
そうでないところは、さぼりまくりなだけ

                  • -

ちょっと感じることがあったので
私の祖父母環境について

父方の祖父には、会ったことがない
父親が高校生の時に亡くなった
いろんな商いに手を出し、借金の多い人だったらしい

母方の祖母は、幼稚園の頃に亡くなった
棺桶に石を打ちつけたときに妙に悲しかったことと
母親の涙が印象に残っている

母方の祖父は、小学校の頃に亡くなった
お正月に親戚で集まった時に、いつもにこにこしていたおじいちゃんが
こんなに小さな姿になっていたのかと思うと
辛かった
肉体は入れ物なんだなぁ
中身があるうちにしっかり生きなくちゃいけないと感じた
入れ物の骨組みは、もっと小さいものだった
炎の中で肉が消された後に残るものは、ちまっとしていた
それ以上のものが、私には残ったけど

父方の祖母は、大学に入ってから亡くなった
サークル活動ほっぽって実家に帰った
遠くにいたから、看取ることが出来なかった
その割に、妙に冷静だった
介護関係で母親がまいっていたこともあって
父親が
「悲しいけど、ちょっと安心してるよ」と言っていた
私自身も、親の愚痴のはけ口になっていたところがあったから
悲しいとか言うより、妙に安心した
病気で苦しみながらというよりも、往生した感じだったから
ますますその思いが強かったのかもしれない

人がいなくなること
命がなくなること
それに直面した時感じるのは
しっかり生きなくてはならないってこと
自分の行き着く先も、同じだと再確認する
そうなる前に何が出来るか、何かをしなくてはならない
と、思う

確かに悲しい
大事な人がいなくなることは、まず悲しいという感情が先に立つ
ただ悲しいだけの状態が過ぎ去った後
考えると、死から生の価値を感じるのです
しっかり、生きるぞ