出産、その後のこと

破水から入院、陣痛促進剤を打ってから効果が出る直前まではTwitter使いつつまとめていた。
その後は…それどころではなかった。
簡単に言えば、体内のありとあらゆる水分、固形物をだしたお産となった。
直接的な表現を伴うので、苦手な方はここまでで。
自分の記録のためだがめっちゃ長くなった。




その後のこと。
9日 15時過ぎ 痛みを感じ始める。
15時半 陣痛の長さ、間隔を記録するアプリを使うと2〜3分おきの陣痛。急に来るとは想定してたけど、終盤近いくらいのペース。休まらない、トイレにもいけない。骨盤と背骨の接合部を上下に開こうとするような痛み。ただ、子宮口は3〜4センチとほぼ変わらず。


16時過ぎ この日の陣痛促進剤投与終了。このままお産に繋がる陣痛が来るかを待つことになる。陣痛の間隔があきはじめる。


このあたりから、記憶があいまいになる。
6時 夕食が来るがそれどころではない。ジュースを少し飲んだような記憶。
7時台 陣痛のいきみ逃しで息を吐こうとして嘔吐。このこともきっかけとなり、お産の兆候ありとしてLDr(陣痛、分娩からその後の一時安静まで一部屋で完結)へ。移動中だけ一瞬痛みがなくなる。


LDrには、お産になると診察台のように形が変わるベッドが用意されている。その上でNSTつけて、痛みが来るとひたすら息を吐くことに専念し、いきまない…のが鉄則だけどひたすら難しい。
腰の筋肉がこったように緊張するのでアイスノン状のあたためるものをお願いした。
肛門押さえると力を逃がす労力が減るのは確かだったから、医療用手袋がはめられたテニスボールを借りた。
痛みが来るたび夫に「腰さすってー」「おしり押してー」「腰とおしりー」と声になりにくい叫びで部位を指定。肛門に関してはこれでもかと押し込まれないと効果が感じられない。顔は見えなくとも夫の腕が疲弊してきているのがわかる。適宜見に来てくれる助産師さんに少しの時間でいいから代わってほしいと申し出たのを覚えてる、スルーされたのも覚えてる。


アクティブチェア(脚がゆりかご状で前にもたれ掛かれる椅子。子どもが下がってきやすくなる。)も乗ったが効果がありそうな分地獄だった。痛すぎて揺れられない。もたれるので精一杯。軽く泣いた。


嘔吐は結構容赦なくやってくる。助産師さんが来てくれると安堵する面があるからか気が緩んで特に。昼に食べたものから胃液、飲んだばかりの水やゼリー飲料まで勢いよく。吐くたびにナースコール押して受け皿をかえてもらってたが、かえてもかえても止まらないから、もうたまるまで放置した。横たわった顔のそばに受け皿置きっぱなし。


内診を受けて、あと一部分だけ0.5センチあいてない、と言われたときの絶望感が半端なかった。


トイレにいこうと立ち上がろうとしたら、子の重さでおそらく骨盤に圧がかかるためか恐ろしくいたい。ベッドに戻るので精一杯。
結局トイレにいくのは危険だからと導尿される。


深夜一時。看護師さんの内診で子宮口がほぼ全開10センチとなってるが、子供の位置が高い、子供を下げるため陣痛が来たらいきんでかまわない、排便と同じ感じで力を入れて、との指示。安堵とともに発奮。もう肛門押さえてもらう必要がなくなったので、疲れたであろう夫に仮眠を取ってもらう。


部屋で一人、痛みが来ると力をいれる時間が続く。NSTを見てた感じからするとおそらく五分おき。子宮口付近に痛みが近づく感覚がすると同時に吐く呼吸を整える→痛みが来たら膣回りに力をいれる→と、ここで終わればよいが、実際排便時のいきみと同じことをしないとすっきりしない。同じことをしていたら本当に出た感触がする。破水してることもあり、万一そっちに菌がいってしまったらと怖くなって何度かナースコールするも異常なしとのこと。「出してしまって大丈夫ですよ」
その後、完全に出た感じがあり、開き直る。助産師さんが見に来たときに消毒綿で拭き取られたり、当ててるパッドを換えたりされたから間違いない。さらーっと対応されるけど、羞恥心あるしよいものではないな。


深夜には、お腹の収縮が感じられないない(NSTでは拾わない=スタッフルームには届かない)膣の痛みが出始める。頭が下がってきたのだろう。


そして相変わらずの嘔吐。陣痛の合間は呼吸を楽にリラックスしておくのがよいものの、吐くのが怖く細かに息をすることにしか集中できなくなる。助産師さん来たときに、仰向けの状態で噴出してしまったこともあり、吐き気止めと水分補給の点滴が足されることとなる。
この効果が絶大で、呼吸が楽になり、陣痛の合間にうとうとできるくらいになった。


自分が怯えたお産時の絶叫を自分自らあげることになるとは…地声が低いのでむしろこっちの方がホラーかもしれぬ。声をあげないようにする冷静さは所々で消える。


細切れな睡眠だけとり、10日朝を迎える。


朝6時ころ。
看護師さんと助産師さんの内診。痛みがきていきんでいる状態で子宮口をぐるり触っていくため、下手すると産まれる直前より痛いように思う。
胎児は回転しながら徐々におりてくるが、その回転が不十分であること、頭が真っ直ぐ下がってなくてひっかかってるところがあること、産道の一部が固いこと=まだ最終のお産には向かえない。促進剤を今日も投与するが、産科医の診察結果で下からのお産になるか帝王切開とするか方針を立てる。いずれにせよ母体も疲労してきている(嘔吐して栄養も水分も不十分だし)から今日の午前中には結果が出る。
看護師さんと助産師さんの「吸引するにはまだ位置が高い」という会話が遠くで聞こえる。


6時半頃 二度目の促進剤スタート


子供を正しい位置に持っていくため、バランスボールに四つん這いになるよう言われる。アクティブチェアの再来のようだった。髪もざんばらで、ボールにかじりついて声をあげた。カオス。夫にすごい弱音はいたように思う。
先生が一度診察しに来られたようだが唸ってた最中だったので挨拶だけして退室したようだった。


朝食は、届いたかすらもわからない。


産科医内診。
看護師さんのそれよりかなり深く確認されてるのがわかる。
先生から、下からのお産にトライすること、場合によっては吸引をすること、それらがだめなら緊急帝王切開とすることが告げられる。


俄に室内が慌ただしくなる。
椅子が最終のお産の形状に組み替えられる。産後に子供を置くインファントウォーマーの準備が進む。
私には子供への酸素確保のため、酸素マスクがつけられ(これがよくずれた)、夫には簡易の手術着みたいな物が渡された。
気づけば部屋の中が人だらけ。産科の先生が二人、これまで見てくれてた看護師さん、助産師さん含め6、7人いたように思う。
みなさん素早く着替えをしながら、私へ呼吸や最終のいきみかたについて指示を出す。(一番痛いときにいきむ、それ以外は息を吐いて逃がす)
内診してくださった先生が私の直下に、もう一人の先生(たぶん上の方)が私の脇に控え、看護師さん、助産師さんは手を出さなかったように思う。
夫は先生とは逆側の脇にたち、私がいきむときにヘソ側を見やすいように上体を支える役目をおった。


さっきの内診の時に似た感じで、たぶん先生の手が入った状態でいきむ。いきんで途中息継ぎ再度いきむ、また息継ぎそしていきむ…を1セットとして、たぶん2セット目くらいに頭が出られないので会陰切開をすると言われたように思う。麻酔の注射はつまようじをちょんと当てられたくらいにしか感じない。切られるのも紙で一瞬指を切ったときくらいにしか感じない。痛みの感度が狂っていた。
3セット目、脇にたつ先生がお腹を押している。頭が見えたよーという声。夫が普段出さないような歓喜とも悲鳴ともつかない声をだしたように思う。「オペキャンセルで」との声が聞こえる。
4セット目、次で出るよー!との声に、もうどんな顔をしてたんだろうというくらいに力をいれた。息止めて行けるところまで力をいれ続ける。途中で、もういいよー呼吸短くしてーとの指示。頭が出たんだ。はっはっはっと呼吸しながら、肩の段階かなにかで一度しっかり力をいれるよう言われる。そこで塊がまとまって出た感触がした。産まれた!


ほっとして頭がぼうっとした。泣き声も聞こえた。少し拭き取られただけの子どもが一瞬胸元に来た。がんばったねと声をかけた。お腹にいたのはこの子だったのか、と当たり前のことを再確認。はたから見ると猿やらなんならなんだろうけど、個性があるように感じた。


夫はビデオカメラの電池が装填できないと焦っていた。デジモノ好きなのに珍しいことだ。この状態でそんなこと言われて冷静に充填できた私も変なテンションといえばそうなのかもしれない。


残るは後産。10ヶ月頑張ってくれた胎盤等を助産師さんが出す。たぶん臍帯が先、その後「あかちゃんより小さいですが、若干気持ち悪い感じしますよー」との声かけのあと、平たいものが出る感触。
その後先生に交代して切開した部分の縫合。一ヶ所2センチほどの切開だったそうだ。ただぐるりと広い範囲で縫われた感触。念のため先生に聞くと、吸引はせず促進剤を使った通常分娩の範囲だったとのこと。


2016年6月10日(39週0日) 午前9時37分 3500グラムジャストの女児を無事に出産と相成った。


その頃、子はインファントウォーマーの上でケアとチェックを受けていた。夫はそれにつきっきりでこちらを見ようとはしない。
かかとから採血したあと、「低血糖」と聞こえた。


手入れの後、産後の密着タイム。
初乳はしっかり食いつき今後の食いっぷりが心配になるくらいだった。
一時間程度、この時間が取れるはずだったが、助産師さんから「週数のわりに大きいことと低血糖であること」から、血糖管理のためGCU(新生児の経過観察施設。保育器に入るNICUより安定した子の施設)へ入院となると告げられる。ゆえに密着タイム終了。安全第一だからそれでよい。しっかり診てもらった方が安心だ。
夫に入院の説明を受けてもらい、その間もLDrで安静。随時出血の具合と子宮の大きさの触診が行われる。


二時間安静後部屋に移動だが、昼食時間と被る。貧血状態で倒れたりもするから、念のためLDrで昼食とって移動となった。
米や肉は重くて全部は食べられなかったが、その他は完食。そりゃ、体にはエネルギー源残ってないもんね。


昼食後、着替えを手伝っていただき、ゆっくり立ち上がって車椅子で病室へ移動。縫ったところの違和感もそうだが、内臓の下垂感がすごい。


廊下に出ると、外は晴れてて空が青かった。梅雨の晴れ間、とても気持ちのよい日に産まれたんだな。この明るい空は忘れられないと思う。