自分を残すこと

たびたび書いたことはあるかもしれないが、復唱
私は、自分の姿を残すことには興味がない
残すだけの美しさや貴重さはそうない
残す価値のある人が残せばよい
残したいと思う人が残せばよい


今日はそのことについて忠告を受けたが、深遠すぎたか理解できなかった
「今、ここに自分が存在した」そのことは自分の実像以外にも残し方はあるように思う
自分のみたものを撮ったり、感じたことを書いたりするのも十分そこに通ずることではないだろか


個人的な理由としてはへたな人にカメラむけられてもひきつった笑いしかできないってこともある
下手…はカメラの腕じゃない
心から笑える人を前にしないとカメラの存在忘れて笑えない
作り笑いの半端な状態の自分を残すのは別に楽しくもなんともない
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明日の朝はゆっくりめだ
ね…寝よう